〜はじめに〜
20世紀は人類が壮大な犠牲を払って「共産主義は上手くいかない事」を学んだ世紀と言える。最も成功した共産主義国家と評される我国に於いても戦後50年以上経ち、税制や公教育に象徴される共産主義的悪平等システムが今、あらゆる所で制度疲労を来たしている。国や地方の財政破綻、医療保険制度の破綻、公立学校の学級崩壊など枚挙にいとまがない。国鉄、電電公社、専売公社は姿を消したが、JR、NTTはまだその後遺症を引きずっているし、護送船団方式に守られてきた金融機関やゼネコン業界も日本経済の足を引っ張っている。
従って、21世紀の我国に於いて政治のなすべき事は「過度の平等主義を是正し、健全な競争原理を導入すると同時に、競争原理のセーフティーネットというべき社会保障制度を堅持する事」だろう。社会保障制度は、本来、広く薄く国民全員で支えるべきであり、社会保障の進んだ欧州諸国の消費税が全て15%以上というのは当然の帰結と言える。
スタート地点が平等であれば良く、その後は努力に応じて結果に「差」がある事を「是」とする社会、即ち「頑張った者が報われる社会」のしくみを構築すべく、以下に7つの政策を提言する。景気、株価、将来不安、社会保障、税制、これらは密接にリンクしており、バラバラに論じる事は意味がないのではないだろうか?
まず、将来不安が解消されない限り国民は貯蓄に走り、政府がいくらIT革命を唱え、公共投資しても消費は回復せず、株価も上がらないだろう。
1)税制構造改革:税の直間比率の是正
戦後の日本の税制はまるで社会主義国家のように所得の平準化を押し進めて来た。
平成11年の税制改革で所得税・住民税の最高税率が65%から主要先進国並の50%(米国46.45%、英国40%、ドイツ54%、フランス53.25%)まで引き下げられたが、我国の夫婦と子供2人の世帯の課税最低限は384.2万円で米国243.3万円、英国69.7万円、ドイツ327.8万円、フランス262万円に比べてかなり高く、平成10年は勤労者層の約3分の1、およそ1800万人が所得税を払っていない。
こんな先進国もないのだが、我国の生活保護世帯の給付額は、例えば、さいたま市の夫婦と子供2人の世帯の生活保護給付額は住宅扶助月額62000円を加えると年間最高支給額は約350万円と高水準にあり、下手に課税最低限を下げると「真面目に働くよりも生活保護を受けた方が良い生活ができる」ことになり兼ねない。
まず、頑張った者に対する懲罰とも言える所得税・相続税を下げて国民のやる気を取り戻す必要がある。それと同時に消費税を目的税化して社会保障制度の財源を確保し、少子高齢社会に対する国民の将来不安を解消する事も不可欠である。
社会保障制度は、本来、広く薄く国民全員で支えるべきで、高齢化率に応じた消費税率引き上げは止むを得ないのではないだろうか?
社会保障の進んだ欧州諸国の消費税が、スウェーデンの25%をはじめ、フランス19.6%、イギリス17.5%、ドイツ16%など、スイスの7.6%を除けば全て15%以上であるのは当然の帰結と言える。韓国でも10%、米国でもニューヨーク市では8.25%の小売売上税が課されており、消費税が5%以下の先進国は日本だけである。
消費税は弱者とは言い難い裕福な高齢者も、プー太郎をしている若者も生活レベルに応じて広く薄く国民全員で社会保障の一端を負担する極めて公平な税制と言える。消費税の逆進性については、衣食住に関する物は5%据え置きとし、その他の物には15〜25%という複数消費課税にすれば良く、内税方式にすればそれ程の重税感はない。
我国の所得平準化税制は企業に対する法人課税についても同様で、法人税は利益に課税されるため、我国の法人企業の3分の2は赤字法人で国税を払っていないのが実状である。企業の競争力を高め、且つ、税負担を広く薄く公平化するためには、頑張った企業に対する懲罰ともいうべき法人税(国税)と外形標準課税の導入を含めた法人事業税(地方税)との比率の見直しは、国から地方への財源移譲の観点からも急務と思われる。
ビル・ゲイツの様な人が登場すれば、その下に多くの企業が生まれ雇用が創出される。また、中世欧州のルネサンス時代には文化・芸術が盛んであったが、メディチ家などの富豪の存在がそれを支えていたのも事実である。北朝鮮に文化があるだろうか?所得平準化税制の下では新規産業も文化・芸術も育たない。
2)社会保障制度改革
98年度の日本の社会保障給付費が約72兆円で過去最高になったといっても、社会保障給付費の対国民所得比は、日本18.9%(98年)、アメリカ18.4%(95年)、イギリス27.2%(93年)、ドイツ37.7%(96年)、フランス37.7%(93年)、スウェーデン46.2%(96年)で他の先進国と比べれば多いとは言えない。
また、2002年推計の日本の高齢化率18.5%は、既に欧州諸国を抜き世界1であるが、2000年の欧州諸国の国民負担率(=租税と社会保障負担の対国民所得比)が、スウェーデンの76.5%をはじめ、フランス64.8%、ドイツ56.5%、イギリス51.2であるのに対し、日本は38.3%(2002年度推計)に過ぎない。米国の国民負担率は35.9%(97年)で日本とほぼ同じだが、米国には国民皆保険制度もなく、高齢化率も12.5%と低いので、実質的には日本国民の負担は先進国で最も少ないのだが、情報公開が重要と唱えるメディアは何故かこれらの事実を報道しない。
@年金・介護の財源は目的税化した消費税で
受けるサービスの個人差の小さい年金・介護の財源は目的税化した消費税に求めるべきである。保険方式では必ず破綻する。現に、平成14年度の国民年金保険料の未納率は前年度から8.1%も悪化し、37.2%に達し、既に制度として崩壊している。
消費を回復させるには、社会保障制度、中でも年金制度を安定確保し将来不安を解消する事だ。「財源を目的税化した消費税で確保し、支給額1人当たり月額10万円程度(現行は66417円)の全額国庫負担の基礎年金で最低限の老後の生活を保証する。そして厚生年金や共済年金などの付加年金(=報酬比例部分)は民営化し個人の責任において運営し行政は関与しない」ぐらいの抜本的年金制度の改革が必要である。
日本人は消費税アレルギーが強いが、現行の国民年金保険料13300円は所得に関係なく、また所得のない学生にも納付が義務付けられている。所得や生活レベルに応じて負担する消費税とどちらが公平だろうか?年金保険料納付義務が無くなる事は所得税減税に等しい。
介護保険も消費税2%引き上げで財源4兆円を確保できるのであれば財源は消費税に求めるべきだ。保険料方式では高齢化率の高い自治体では一人当たりの負担が大きくなり、その一方で徴収不能、免除などで全く負担しない層ができる。「介護保険料が高くて払えない」という声に対して、地方自治体が保険料徴収を減額・免除する動きがあるが、これは介護を広く薄く国民全員で負担すると言う介護保険の主旨にも反し、その財源不足を国に頼れば地方分権も進まない。
2002年10月現在の65歳以上の人口は、2363万人で1人当たり基礎年金月額10万円を支給したとしても年間約28兆円で、この財源を全額消費税に求めても14%である。仮に、基礎年金の財源28兆円と介護保険の財源4兆円財源を全額消費税で賄ったとしても今ならまだ16%程度で済み、欧州諸国と同レベルになったに過ぎない。
A医療費の財源は、保険料と混合診療の導入で
98年度の日本の国内総生産GDPがOECD諸国29ヶ国の中で第2位にであるのに対し、総医療費の対GDP比は7.4%で18位、1位の米国は12.9%である。高齢化率と1人あたりのGDPが比較的近いドイツ、フランスの総医療費の対GDP比はそれぞれ10.3%、9.4%で、ドイツ、フランスと比較しても日本の総医療費は少なく見積もっても対GDP比で約2%、約10兆円も少ないと考えられる。
もちろん、諸外国に比べて薬や医療材料が高過ぎて(米国の3〜5倍)、技術料が安すぎる(米国の10分の1)。或いは、意味のない延命治療や余命いくばくもない高齢者に金を使い過ぎなど、医療費というパイの切り方に改善の余地はあるが、パイそのものが小さくて、現場では欧米なみの医療サービスはおろか、当直医、夜勤の看護婦の確保という最低限の医療サービスの供給にも窮している。
自由主義経済の下では支払う医療費の大小により受ける医療サービスに差があるのが「公平」である。従って、受けるサービスの個人差の大きい医療費の財源は保険方式と自由診療を合わせた混合診療に求めるべきだろう。支払う医療費の大小にかかわらず、受ける医療に差がない日本の医療保険制度は共産主義に他ならず、崩壊の道にある。少なくとも、薬、医療材料(人工関節・ペースメーカー等)、費用対効果の乏しい治療(脳死患者や高齢者の重症脳卒中患者の延命治療等)には歯科では既に認められている混合診療を医科でも導入すべきではないだろうか?
3)教育改革:ゆとりの教育の廃止
オリンピックでは、選手の成績に応じて「金・銀・銅」という序列が付くがこれは差別だろうか?どこかの公立中学校で、「順序が付くことが良くない」として、徒競走を皆で手をつないでゴールさせたり、期末テストを廃止したりしている様だが、この共産主義的悪平等が教育崩壊の原因である。
スタート地点が平等であればよく、その後は努力によって結果や報酬に差がある事こそ公平だろう。幸い日本では、諸外国に比べて人種や、身分によるスタート地点の差は無いに等しく、学費の負担も少なく極めて恵まれた環境と言える。
日教組・文部省が進めた「ゆとりの教育」は日本人の学力低下と競争原理の実社会に適応できない若者を産み出しているだけである。競争原理を否定するような教育を施しておきながら、国際競争に適応できる人材を育成できるだろうか?
そもそも、スポーツや音楽では、一生懸命練習することが尊ばれ、学業の場合、詰め込み教育などと言って非難されるのはおかしい。野球で甲子園をめざして猛練習するのと、志望大学を目指してガリ勉するのと本質的な差はない。
戦後教育が「自由と権利の裏には義務と責任がある事」と「努力に応じて結果に差があるのが公平であるという事」を教えて来なかったから、日本人は大人も子供も自分の思い通りにならないとすぐキレてしまうのである。「小人閑居して不善を為す」という諺は「ゆとりの教育は駄目だ」という事に他ならない。
@学校選択の自由化
ナイフ事件に代表される学級崩壊の報道は全て公立校のものであり、私立校のそれは殆ど目にしない。公立学校の衰亡は生徒の能力・目的ではなく、住所で行ける学校が決まってしまう学区制度の導入に端を発している。公立学校が没落すると子供を私立に通わす経済力のある階層の子弟しか有名大学に進学できなくなり、ますます階級格差が広がる。
野球をやりたい者が野球の強い学校を、勉強したい者が学業に優れた学校を自由に選択できる事が機会の平等であり、スポーツに限らず、芸術や勉学でも学校差が生じる事は差別ではない。学校選択を自由化するだけで、必然的に競争原理が導入される。学級崩壊が著しい学校には生徒が集まらず、能力のない教師はリストラされ、教師の質が改善される。
政治家も、病院も、弁護士も、新聞も、国民が選択できるが、お役人と公立学校の先生と警察官は国民が選択できない。官僚、教師、警察を含めて昨今の公務員の仕事ぶりを見れば明らかな様に、全く競争原理のない所では人も物もその「質」は留まる所なく低下している。
A習熟度別のクラス分け
複数の人間に何かを教える場合どうしても習熟度別のクラス分けが必要であり、これは差別ではない。今の公教育は、プロ野球の選手と草野球の選手を一緒に練習させているようなもので双方にとって練習になっていない。学習塾や予備校は学力別のクラス分けをしているので、生徒数が多くても授業が成立している。スイミングスクールでも泳力でクラス分けをしている。不登校児ばかりを集めた学園でも授業が成立している。
能力に差があって当然の子供達に画一的な授業が成り立つ訳がなく、30人学級にしても、必修内容を削減しても問題は解決されない。
4)行政改革:公務員の給与体系に能力・成果主義を導入・徹底する。
健全な競争原理の導入と小さな政府を目指すなら、「民」で可能な事は「官」から「民」へ移譲して行くべきで、郵政3事業の分割・民営化も不可避である。郵便事業は民間の宅急便で可能だし、郵便貯金250兆円と簡易保険120兆円は民間の金融機関を圧迫し、更にこれが、財政投融資という制度を介して、役人の天下り先になっている特殊法人・公益法人へ流れ、大赤字を出しているのである。
郵政3事業、財政投融資制度、特殊法人・公益法人の見直しは言うまでもないが、行政の抜本改革は公務員の給与体系に能力・成果主義を導入・徹底する事にある。これ抜きに行財政改革はありえないし、逆にこれだけで行政の効率化と財政赤字改善が可能である。
「休まない・遅刻しない・働かない」と言われる様に、日本の公的機関ではいくら怠けて赤字を出しても税金で補填され、職員の減給も解雇もない。これでは質やサービスが改善される訳がない。公的病院では救急患者を沢山受け入れても、「専門外」と言って全部断っても医師の当直料は同じである。公立学校でも熱心な先生とそうでない先生の給料に差がない。警察でもストーカー事件の予防に熱心な警察官とそうでない警察官の給与に差が無い。
大多数の公務員は国民のために一生懸命働いているが、手を抜いても、一生懸命やっても年功序列横並びの悪平等給与体系の下では仕事に対する使命感や責任感を維持するのは困難で、これが、国や地方自治体の財政破綻を始め、一連の公的病院の医療ミス、公立学校の学級崩壊、警察の不祥事など全ての日本の公的機関の崩壊状態に通じている。
公共事業もそれ自体が「悪」ではなく無駄が多く、利権の温床になっている事が問題なのであり、行政の管理職である政治家が役人の勤務評価や公共事業の費用対効果の評価を適切に行い、大赤字を出し国民にも不評の政策を施行した役人のボーナスをカットすれば良いのである。但し、大多数の職員が納得できる様に公正な勤務評価するには管理職にも実力が要求される。
遅まきながら政府も公務員の給与体系に能力・成果主義を導入する事を発表したが、終身雇用は組織への忠誠という意味もあるが、年功序列・定期昇給という制度は、国でも企業でも経済成長がなければ人件費がどんどん増えて破綻するのは数学的にも明らかで、日本の給与水準は既に世界でもトップクラスにあり、少子高齢・低成長社会ではこの制度は維持できない。プロ野球に例えれば、打率3割、40本塁打、100打点の打者と打率2割、5本塁打、20打点の打者の年俸に差がある方が公平だろう。
5)司法改革:終身刑を創設する。
飲酒運転常習者が起こした幼児2人が亡くなった交通事故に対して出された懲役4年という判決に対して「日本は犯罪に対するペナルティーが甘すぎる」というのが多くの国民の率直な感想ではないだろうか?
大阪の小学校で児童8人が殺傷される痛ましい事件が起こったが、現行制度では犯人が精神障害者の場合、被害者は全くの「やられ損」であり、触法精神障害者の90%は起訴されず、わずか数ヶ月の措置入院で社会復帰し、再犯も防止できない。
少年犯罪が看過できなくなり、平成12年に少年法が改正され刑事罰対象年齢が引き下げられたが、犯罪に対するペナルティーが甘いのは、未成年者だけではなく、成人に対するペナルティーも甘すぎるのである。我国の場合、無期懲役といっても法的には10年、少年なら7年で仮出獄が可能である。
日本にも死刑と無期懲役の間に相当する終身刑を創設すべきだろう。犯罪被害者の権利を守るためにも加害者側に殺意があり、被害者側に全く過失が無い場合の殺人に対しては被害者が1人であっても無条件で終身刑以上の量刑とすべきである。そして、終身刑なら冤罪の場合も問題は少ない。
犯罪者に対する不適切な人権擁護が逆に善良な一般国民の人権を侵害し、日本を「正直者が馬鹿を見る社会」にしていると言えないだろうか?オウム真理教の麻原裁判はいつまでかかるのだろうか?
6)憲法改正:自分の国は自分で守る。
万人、万国が「善」であるのは理想だが、現実の人間社会においてはオウム真理教のようなカルト集団やナチスの様な独裁国家に対して国民の生命と財産を守るためには軍隊も、警察と同様に必要だろう。国防という国家にとって最も基本的な事を米国に依存して来た事により、日本は自己決定能力を失い、重大な案件については先送りしかできなくなっている。
国際社会から見れば、現在の日本は米軍の傘の下で守られていると言わざるを得ない。我国の外交・安保政策に於いて日米安全保障条約が基軸になるのは言うまでもないが、我国が自治・独立国家であるならばそろそろ片務条約から双務条約にした上で、より緊密な日米関係を築き、世界の平和維持を考える時期に来ているのではないだろうか?自国の防衛を他国に依存している状態で諸外国と対等な外交交渉ができるだろうか?自国の防衛を自前で賄ってはじめて在日米軍基地の縮小・退去を論ずることができるのではないだろうか?
99年の国防費の対GDP比はアメリカ3.2%、イギリス2.6%、ドイツ1.5%、フランス2.8%に対し、日本は1.0%弱であるが、日本のGDPは500兆円と大きいので、現在の自衛隊の兵力を考えれば、国防費の対GDP比を増やす必要は無いだろう。しかし、国際社会で自治・独立国家として扱われるためには、憲法9条の第2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除し、自衛のための軍隊の保持、自国の安全のための集団的自衛権の行使、及び国連が行う集団安全保障に於ける軍隊の派遣を可能とすべきではないだろうか?(尚、永住外国人に対する地方参政権付与については、国籍と参政権は不可分であり、日本国籍取得の条件緩和の方向で考えるべきである。)
7)農業は国の基本:これ以上の食料自給率低下は危険
地球の人口が10億人を突破したのは1804年、その約200年後の1999年には60億人を突破した。人類の登場は10万年前という説が有力であるが、仮に10万年前を1月1日とし、今日までを1年間として換算すると200年前は12月31日の午前6時30分頃となり200年間で6倍増がいかに爆発的であるかが分る。
地球以外に人類が住めそうな惑星が見当たらない現在、「人口問題」が、「地球の温暖化」と並んで21世紀末には人類の存亡にかかわる問題となるのは確実である。自給自足では約1〜2億人、農業で食料を大量生産できる現代でも、アメリカ人の食生活では19億人、日本人の食生活では42億人、肉類をあまり消費しないインド人の食生活でも87億人しか養えないという報告もあり、遺伝子組換え作物等による食料生産性向上も人口問題を考えると避けては通れないだろう。
先進国では少子高齢化が進み人口は減少に転ずると予想されているが、開発途上国では爆発的に増加し続けており、食料の枯渇は世界大戦の引き金になりかねない。米国もフランスも先進国では農業を国家の基盤と位置付け、中国が人口抑制策に失敗し、食料問題が起こった場合の米国の最終兵器は食料であるとさえ言われている。それに対して、日本の食料自給率は低下し続けており、98年度は40%であり、これ以上の食料自給率低下は国の土台を危ういものにする。
国の基盤である農林水産業を崩壊させないためにも、都市と地方の役割を見直し、公共事業以外で地方の雇用を守る政策が必要である。まず、地方と都市の生活様式に「差」がある事を「是」とすべきで、地方を全て東京化する必要はないだろう。
8)景気対策:円安誘導と中国元の切り上げ
日本経済の失速は日・米・英・仏・西独5ヶ国の大蔵大臣と中央銀行総裁により行われた1985年のプラザ合意に端を発している。これは貿易赤字と財政赤字の双子の赤字に悩む米国が、日本の一人勝ちとも言える貿易黒字に業を煮やし、日本に超円高、超低金利、内需喚起を約束させたものである。
急激な円高は輸出製造業を直撃し、更に企業は企業内努力では到底経営危機を乗り切れないため生産拠点をコストの安い海外に移動したため産業の空洞化が起こり、失業増加と設備過剰をもたらした。超低金利は日本国内の資金を国外に還流させ、日本の銀行の競争力を大幅に減退させた。内需拡大による数百兆円の公共投資がバブルの創出と崩壊に繋がっている。そして、プラザ合意は米国に長期の好景気をもたらし、米国は財政赤字を解消し、意図した通りになった。
世界経済にとってもう一つの問題は、21世紀になり、米国経済も失速傾向にあり、日本・EU・アジアが低成長を続ける中で、7%を越える成長を続けている中国である。中国の低賃金労働の供給力は無限に近く、いくら経済成長しても賃金が上昇せず、日本国内の製造業・農林水産票が多少の構造改革をしてもとても競争にならない。
グローバル経済のもとでは、日本の物価や賃金が欧米並みの水準に下がるまで、デフレは終息しない。従って、抜本的な景気回復策は円安への誘導と中国元の切り上げだが、国防を他国に依存している状態では諸外国と対等な外交交渉もできないのが国際政治の現実である。
〜さいごに〜
少子高齢化が更に加速する我国では、積極的な移民政策でも採らない限り、税金・年金・保険料を納める人が減り医療や介護を要する人が増えるのは確実である。ところが、それを支えるべき若者達は、平成15年度末には700兆円に達する国と地方の財政赤字をよそ目に、フリーターとかひきこもりとか称して「勤労と納税」という国民の義務を回避している。実際、15歳から24歳男子の10.3%が失業中だが、非自発的失業者6万人に対し、自己都合による離職者が14万人にも上り、平成10年度の失業手当の不正受給は22億円に上っている。
ちまたでは失業率が高いといわれているが、"楽で給料の高い、おいしい仕事"がないだけで、医師の当直、看護婦の夜勤、病院の事務当直など3K(きつい・汚い・危険)職種は圧倒的に人手不足である。
誰がどう考えてもこんな国が右肩上がりの成長をする訳がない。長引く不況の原因は不良債権にあると言われているが、人口が減少に転ずる国の不動産の価値が下がるのは需要と供給の関係からも必然で、地価の再高騰による不良債権の解消は期待できない。不良債権問題は「義務と責任を果たさない日本人」を象徴しており、金を借りても返さない企業と土地を担保に盲目的に融資した金融機関の責任者に経営責任を取らせた上で公的資金を大胆に注入して償却する以外に処理方法はない。
行政に無駄が多いのは事実だが、国の一般歳出約80兆円のうち、悪名高い公共事業の歳出は9.4兆円(平成13年度一般会計予算)である。実は「国債の利払い」に毎年10兆円強が充てられている事こそが最大の税金の無駄なのであるが、税収が約50兆円しか無いのに、30兆円を公債(借金)に依存している現状は、日本人は負担分以上の行政サービスを受けているとも言える。
国際的に見れば、日本は先進国で最低の消費税と国民負担率で、国防も他国に依存して平和と繁栄を享受し、国民は1400兆円も貯金をしている一方で、政治家・役人のみならず、国民も私利私欲に奔走した結果、700兆円もの財政赤字を造って国際経済を混乱に陥れている「自分勝手な国」と言わざるを得ないかもしれない。いくら1400兆円の国民貯蓄があるといっても、このまま国が財政破綻し、ゆとりの教育がもたらす技術力低下から貿易も赤字に転落すれば、「円」がその国際通貨としての価値を失う。それは日本人がロシアの「ルーブル」という通貨を持ちたいと思わないのと同じである。
「税の直間比率を変える・ゆとりの教育をやめる・自分の国は自分で守る」は日本以外の先進国では当たり前の政策でこれを実現するだけで日本の再生は可能だが、それには日本人にもう少し愛国心が必要だろう。財政破綻しても国は滅びないが、愛国心を失った国が滅亡する事は、繁栄を極めたローマ帝国が、自己融解して滅亡した事からも明らかで、中国に揶揄されるが如く日本という国は30年後には世界地図には無いかもしれないと想う今日この頃である。
【追記:真の構造改革は日本人の意識改革から】
日露戦争は有色人種の国が白人の国に勝利した歴史上唯一の戦争で日本軍がロシアのバルチック艦隊を破った事は当時の白人社会にはショッキングな出来事であった様だ。日本は日露戦争に続いて、第一次大戦にも勝利し、教育レベルが高く、勤勉な単一民族国家、日本は白人国家にとって脅威となった。21世紀の現在と異なり、欧米列強のアジア・アフリカ植民地政策が趨勢の時代に、アジアの有色人種の国が白人の国と対等な力を持つ事が何を意味したかは容易に想像できる。
そこで、GHQ(連合国軍総司令部)は第2次大戦の日本の敗戦に際し、「国家」よりも「個人」、「公」よりも「私」を重要視する憲法と自虐歴史観を与える事により、日本人から「愛国心」と「ナショナリズム」という精神的な牙を抜き、再び有色人種の国が白人の国に伍すことが無い様に目論んだと言われている。
愛国心もナショナリズムもない国が国際政治の舞台で真に力を持つことはあり得ない。実際、日本は米国の意のままに金を出し、中国へのODA、北朝鮮への米支援など言論の自由もない独裁国家に血税を注ぎ込む一方で、自国の社会科の教科書には内政干渉され、この国の主権は何処にあるのかという有様で、55年を経た今、GHQの謀略は見事に開花していると言わざるを得ない。
戦後の日本が盲目的に「個=善」とし、過度に「私の自由と権利」を主張し、「国=軍国主義=悪」として、「公に対する義務と責任」の重要性までを否定してしまった事に今日の日本の迷妄の原因があるのは明らかで、官僚の腐敗、政治家の汚職、警察の不祥事、司法の背任、学級崩壊、成人式崩壊、少年犯罪など規律も規範も失った日本の現状が全て「公」よりも「私」を優先させた帰結である事に気付く。
「個」が重要でないと言うつもりはないが、「公」の概念を失った集団組織は、自己融解し内部から崩壊の道を辿る。繁栄を極めたローマ帝国が滅んだのは外敵によってではなく、国民が「公」の概念を失い自滅したのである。
ここで、私の言う「公」は、国家に限らず、「集団社会の一員としての公共に対する義務と責任」である。即ち、日本という国に在住しその平和と繁栄を享受すれば、日本国という集団社会に対する義務と責任が生じ、日本国憲法ではその義務と責任を「勤労と納税」と定めている。これは学校の授業中おいても、成人式会場においても然りで、私語を慎むという公共の場に対する義務と責任を必然的に伴う。
「自分の思い通りにならないと大人も子供もすぐキレル」、「フリーター、ひきこもりとか称して勤労と納税という国民の義務を果たさない」、更に、医師の立場から言わせてもらえば、「5年も乗れば買い替える自家用車には何百万円も惜しげも無く払いながら自分の親の老後には一銭も払いたくない」という昨今の日本人は「市民」から利己主義に支配された「私民」に堕したと言わざるを得ない。
「公私論」に日本再生の鍵があり、真の構造改革には、まず、日本人自身の意識改革が不可欠と思われるが、そのためには「人が何の為に産まれ、生きているのか?」という所から考えてみる必要があるだろう。
人は馬や犬などと異なり産まれてから1年近くも自分の足で歩く事もできない。我々の日々の生活を見ても、衣服、食物、住居、電気など、どれを採っても多くの他の人の力によって支えられている事が分かる。即ち、人は極めて社会的な動物で集団を形成し助け合って行かないと「種の保存」ができない動物なのである。
人が集団を形成しないと生きて行けない限り、その一員として「集団社会に対する義務と責任」を必然的に伴うのであり、この「義務と責任」を伴わない「自由と権利」は「わがまま」に過ぎないのではないだろうか?「躾ける」という事はこの「公共に対する義務と責任を教える事」に他ならないのではないだろうか?
「何故勉強しなければいけないのか?」という子供達の問いに多くの日本の大人達は明確に答えられず迷妄の中にいる。その答えの一つは「他の人を支える事ができる人間になる為」ではないだろうか?「人が一人では生きて行けない事」が明白である以上、「人が他の人を支える為に産まれ、生きている事」も明白である。
近年、跡を絶たない児童虐待もその問題の本質は「公」の欠如にあるのではないだろうか?育児は最も身近な他の個人を支える行為であり、「子供を産む自由と権利=私」の裏には「子供を育てる義務と責任=公」がある事を忘れてはならないのである。
我々の親達の世代は戦後の日本を復興させ自由で平等かつ豊かで安全な国を我々に残している。少なくとも内戦で難民が溢れているということはない。これに感謝するとともに親達の世代の老後を保障するのは我々の世代の義務だろう。それに引き換え我々の世代が子供達の世代に残せる物が700兆円の借金と紙屑同然となった一万円札では余りにも情けない。
今、日本人は「国が自分達に何をしてくれるかを問うのではなく、自分達が国の為に何が出来るかを問うて欲しい」という故ケネディ米大統領の言葉を思い出し、「私・個・自由と権利」だけでなく、もう少し「公・国・義務と責任」を考える事が必要ではないだろうか?都市がもう少し地方の事を、地方はもう少し都市の事を、そして、高齢者がもう少し若年者の事を、若年者はもう少し高齢者の事を考えるだけで我国の抱える多くの問題は解決可能である。
消費税25%、国民負担率76.5%のスウェーデンの投票率は90%である。日本の選挙の投票率は国民がその義務と責任を果たしていると言えるだろうか?日本人は民主主義と主権在民を獲得するために人類がどれほどの血を流して来たかをもう一度考え直し、まず選挙で1票を投じることから始めるべきだろう。
《政策提言
〜「頑張った者が報われる社会」を目指して〜》