【続:政治家のレベル
    =国民のレベル
      =マスメディアのレベル】
 過日の総選挙もマスメディアの予想通り民主党の圧勝、自民党の惨敗という結果に終わったが、ここでも税制・社会保障、教育、外交・安全保障という国政の本質的課題よりも「自民党から民主党への政権交代」という政局が焦点とされた。

 「自民党には不満、民主党では不安」と言われた様に確かに小泉前首相の郵政解散以降、過去4年間の自民党政治には不満な点が多い。後期高齢者制度を導入する位なら消費税を引上げて従前の制度を堅持すべきであったし、定額給付金はかつての経済効果の乏しかった商品券配布の経験から学べば当初の定率減税で通すべきであったと思う。有権者の大多数は政策で判断したというよりも、「一度、民主党にやらせてみようか。」という選択だったと思われるが、民主党の政策も財源の裏付けがなく、特に安全保障面では党内バラバラで甚だ心もとない。北朝鮮からのミサイルが一発着弾すれば民主党政権は雲散霧消してしまうだろう。

 数学者の藤原正彦先生は「国家の品格」の中で「国民は永遠に成熟しない」、「成熟した判断が出来る国民という民主主義の暗黙の前提は永遠に成り立たない」と述べている。自分の専門領域である医療についても後で「あの治療方法は正しかったのか?」と自問する事が少なくないが、政治や経済の素人である一般国民に政策の是非を判断できるのだろうか?

 「小善は大悪に通じ、大善は非情に似たり」という言葉は私は座右の銘だが、耳障りの良い小手先の政策は大きな誤りを招き、長期的・大局的に正しい政策は一面シビアなものである。例えば、会社の不採算部門の継続という小善は、長期的には経営状態の悪化という大悪に繋がり、経営改善という大善を実現するには、不採算部門のカットという非情さが必要である。私の病院の職員に給料の多寡を問えば「多く」が多数となり、休みの多寡についても「多く」が多数になるだろう。多数意見を「是」として給料を上げて休みを増やせば病院の経営は成り立たない。国民に行政サービスの多寡を問えば、「多く」が圧倒的多数で、負担の多寡を問えば、「少なく」が圧倒的多数である。多数意見に迎合して負担以上のサービスを給付した結果が現在、国と地方を合わせて1000兆円を超える財政赤字である。

 国民に成熟した政策の是非の判断を求める事は難しいが、「人を選ぶ事」については「その人の人となり」を知り得る場合、日本国民は極めて適切な判断をする。例えば部員100人の野球部で主将を選ぶ場合、「練習をサボろう」という人物は選ばれないし、学級委員長を選ぶ場合も然りである。市会議員レベルでは候補者の「人となり」を知り得る場合も多いが、国会議員・都道府県知事・政令市長レベルでは候補者に直接会って「人となり」を知り得る有権者は極めて少数で、大多数はマスメディアによって伝えられる情報で「人となり」を判断せざるを得ない。ここに間違いが生ずる原因があり、大衆を煽動するマスメディアがヒトラーの様な独裁者を産み出す事は先月述べた通りである。

 チャーチル元英国首相は「民主主義は国民が政治に参加する最悪の方法である。だが、それ以上の方法を人類はまだ見出していない」と云ったが、「政治家のレベルは、国民のレベルであり、国民のレベルはその国のマスメディアのレベルである。」という事に尽きるのではないだろうか?

 竹下内閣が一般消費税を導入した時、マスメディアは「消費税導入はけしからん」の大合唱で、世論も圧倒的反対多数であった。竹下内閣の支持率は一桁に低下し、解散に追い込まれたが、少子高齢社会となった今、「消費税の導入は大英断であった」と評価できる。やはり「良薬、口に苦し」なのである。




2009年9月13日