【フリーター、ニートの抜本対策は?】
 少子化が進む中で、フリーター、ニートと呼ばれる定職に就かない若者が増加し、将来、彼らが高齢化すれば、生活保護に雪崩込む事が危惧されている。

 さいたま市でも平成17年度から就労実態調査を実施し、何が就労阻害の要因になっているかを分析して調査に裏打ちされた雇用対策を打ち出していく方針である。

 詳しい分析は調査の結果を待ちたいと思うが、働かない若者が増えている原因は「不況のため仕事がない」というよりもむしろ「やりたい仕事が見つからない」とか、「自分を活かせる仕事がない」といういわゆる「選択的無職」のケースの方が多いのではないだろうか?

 しかしながら、我々はこういう選択的無職の若者達を非難できないだろう。何故なら彼らは「自分の才能や個性を活かせる仕事をしよう。」などという教育を受けて育って来ているからである。

 自分の才能や個性を活かせる仕事で飯が喰えるのはほんの一握りの人達に過ぎず、大多数の人間は社会の歯車として働いているのが現実である。

 そもそも、社会の歯車である事が悪い事だろうか?人間社会の衣食住の殆どは歯車的労働によって支えられており、逆にスポーツ選手やタレントの様な職種はなくても世の中は回るのである。

 いわゆるショービジネスの報酬が、警察や消防の様な国民の生命と財産を守る仕事に比べて高額過ぎるという事も問題ではあるが、まず、大多数の若者には「単調な仕事に耐える忍耐力、それを乗り越えた時の喜び、そして勤勉と節制によって幸福が得られる事」を教育すべきではないだろうか?

 選択的無職の若者達は「企業の歯車として働く事は人間性の喪失だ」などと教えられて育っているから、普通の会社に勤めても働く意欲が持てなくて当然だろう。

 フリーター、ニートの問題の抜本対策はやはり教育だと考えるが、さいたま市の平成17年度の教育行政方針には『一人一人が生き生きと輝く個性を育む、このことを施策の展開の基本に』とある。

 個性を育む事に異論は無いが、憲法にも「勤労と納税は国民の義務」と謳われている様に、やはり、公教育で「自分を活かせる仕事がない」と言ってフリーターやニートをするよりも社会の歯車であっても勤労と納税という国民の義務を果たす方がはるかに立派なのだという事を教えるべきではないだろうか?

追記:「自分の才能や個性で飯が喰える人たちはほんの一握りである」と述べたが、「自分の理想の相手と結婚できる人達もほんの一握りである」という事も教えないと晩婚・少子化に歯止めがかからないと思われる。


             






2005年6月25日