【平成16年2月予算特別委員会に於けるくさかべの質問
    〜「法治国家」から「放置国家」になった日本】
追記:先日、地下鉄サリン事件等で無差別殺人を行ったオウム真理教の麻原彰晃に対し死刑の判決が下されたが、その裁判には約8年間が費やされ、使われた税金は国選弁護費用分だけで4億2000万円に達している。そしてオウム真理教には破防法の適用が見送られ活動継続が容認されている。無差別殺人犯に対してこれほど寛大な国があるだろうか?

 我国の場合、成人犯罪だけでなく、少年犯罪に対する量刑も甘い。山口であった少年による母子強姦殺人事件の地裁判決は、死刑求刑に対し無期懲役であった。平成12年の少年法改正で刑事罰対象年齢が引き下げられたが、依然として無期懲役といっても法的には少年なら7年、成人でも10年で仮出獄が可能である。

 ある意味で「防犯・治安」と「人権・プラバシー」は反比例する。

 大阪池田市の小学校で児童8人が殺傷された事件があったが、現行制度では犯人が精神障害者の場合、被害者は全くの「やられ損」で、触法精神障害者の90%は起訴されず、わずか数ヶ月の措置入院で社会復帰し、再犯も防止できない。殺された児童8人はまさにこの触法精神障害者の人権とプラバシーを守る制度の犠牲になったと言える。

 記憶に新しい所では大阪岸和田市で起こった15歳の長男を親が虐待し、餓死寸前まで放置した事件があったが、この事件もその家庭に対する人権とプラバシーがこの子を餓死寸前まで追い詰めたと言える。

 万人が「善」であるのは机上の空論で、現実の人間社会では厳罰化による犯罪抑止効果は存在する。

 飲酒運転常習者が起こした幼児2人が亡くなった交通事故に出された懲役4年という判決に対する「量刑が軽すぎる」という世論の後押しで、悪質交通犯罪が厳罰化されたが、厳罰化後は飲酒運転は減っている。

 最近の日本の治安の悪化は目を覆うばかりで、さすがに法務省も重たい腰を上げ、強盗、殺人、強姦の法定刑が約100年ぶりに引き上げられる様だが、「厳罰化では何も解決しない」と主張する人達が進歩的と称されマスメディアで力を持つ様になってから、日本は「法治国家」から「放置国家」になってしまったと言わざるを得ない。

 これは公立学校で授業を妨害する生徒を廊下に立たせる事さえ「体罰」とされて出来ない事に通じていると思う。





 さいたま市内の窃盗、強盗、強姦、殺人は5年前と比較すると、窃盗28%増、強盗171%増、強姦120%増となっている。(殺人は年間総数が6件と少ないので25%減)

 一方、昨年1年間のさいたま市内で発生した交通関係を除いた一般刑法犯の検挙率は約12%に過ぎない。

 これに対しさいたま市の平成16年度予算における防犯対策事業の総額は1900万円に過ぎず、新規事業も「地域防犯推進委員による防犯パトロール実施時のジャンパー貸与」のみであるのはいかがなものか?
2004年3月3日