中国の日本総領事館敷地内に入った身元不明の男女5人を追って、中国の武装警察が日本の了解を得ず、日本総領事館敷地内に侵入し連行していった事件に対する日本の対応を見て、塩野七生氏が「ローマ人の物語」で述べていた「自ら血を流して、祖国を守った経験のない国民は、国の存亡の危機が迫っていてもそれを感知する能力も失っている」という一節を思い出した。

 外国との軋轢に対する日本の対応が報道される度に日本の「国防を他国に依存しているために生ずる安全保障に対する危機意識の希薄さ」を感じるが、他国から侵略された時に「国を守るために戦う」という若者が30%未満の国の役人や政治家に「国民の生命と財産を守る使命感」を期待するのは無理な話だろう。

 ギリシャ・ローマの時代から国防と納税は国民の義務だが、現在の日本ではどちらも果たしていない人の方が多く、衰亡するのは必然である。歴史を見ても国防を傭兵に依存した国は程無く滅亡し、繁栄を極めたローマ帝国も例外ではない。

 私は日本の第2次大戦の敗戦に際し、「自分の国を自分で守る事を認めない憲法」と「自虐歴史観」を与えたGHQの真のねらいはここにあった事が分かるのに43年もかかってしまった。即ち、国防という国家にとって最も基本的な事を他国に依存している限り、再び、日本が白人の国に伍す力を持つ独立国家になる事は無い。

 GHQの占領政策はあまりに見事に花開き、偽造パスポートで不法入国した者を、入国の目的を訊く事もなく御丁寧に飛行機まで用意して送り返し、拉致された自国民を傍観し、自国の領海を侵した不審船を引き上げられない日本は独立国家としての体を成していない。

追記:万人、万国が善であるのは理想だが、現実の人間社会では机上の空論にすぎず、鍵も警察も必要である。国際警察が存在しない現状では、自分の国は自分で守るべきではないだろうか?

 オウムは坂本弁護士一家を皆殺ししたが、「自分の国は自分で守る事」に反対する人達は、そのとき「暴力反対」と主張するだけで、家族が殺されるのを見ているのだろうか?

 米国やスペインの総領事館敷地内に入った亡命者には、中国の武装警察は手を出していない。私は孫子の「軍事力の無い外交はあり得ない。しかし、実際に戦争をするのは愚で、抑止力で国益を守る外交を展開すべし。」が現実的な選択だと思う。憲法9条の第2項〜「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」〜を削除するだけでよいのだが。



2002年5月17日
総領事館事件考