産業災害には「ハインリッヒの法則」というのがあり、「1つの大事故の背景には、29の小事故があり、300のニアミスがある」という。これは医療過誤にもあてはまり、みずほのシステム障害は他人事ではないのだが、病院管理職から見れば医療過誤は次の2種類に分類される。

 1つは、誤診や手術時に誤って神経や血管を損傷してしまうなど人間がやる限りゼロにできないミスや、骨折手術における術後感染や消化器手術における縫合不全といった数%の確立で必ず発生する合併症である。これらについては診療時の適切なインフォームドコンセントが重要となろう。

 もう1つは、都立広尾病院の消毒薬の静脈注射、横浜市大病院の手術患者の取り違え、東海大病院の経口投与と静注投与のミス等の完全なケアレスミスである。これらについては、「ゆとりの教育がもたらした注意力散漫」もその一因だと言わざるをえない。

 人間は間違いを冒すものであり、容器の色を変える、ダブルチェックする、リスクマネージャーを設置する等、システムの改善も必要だが、ケアレスミスは施行する前にもう一度確認すれば防げるものであり、それは答案を提出する前にもう一度名前や受験番号を確認する作業と差はない。学生時代にケアレスミスを容認するような教育を受けてきた者に社会人となって「さあ、今日からケアレスミスをするな」と言う事自体に無理がある。少し前の話だが、JRの運賃表示ミスも、JALの管制官の便名間違いによるニアミスも、もう1度確認すれば防げた事である。

 日本の教育システムに於いては、偏差値が高い事は「頭が良い事」を意味する訳ではないが、ケアレスミスが少ないとは言える。医療においてはケアレスミスが少ない事が重要な事は言うまでもなく、「できる事」は常に百点が要求される。また、できない事を「ない」といえる事も重要で、それは試験で、実力以上の問題はできる必要がないが、できる問題は完璧を期すという事と何処が違うのだろうか?みずほ銀行のATM障害は「できない手術を施行した」と言えないだろうか?

 「小人閑居して不善を為す」という諺は「ゆとりの教育は駄目だ」という事に他ならず、そろそろ米英と同様に教育政策を転換しないとますます日本社会は劣化する。資源も土地も無い国が国際競争社会で勝負できるものは「頭脳」と「人材」しかないが、競争原理を否定するような教育で、国際競争に伍していける人材を育成できる訳が無い。

 医療では「3mg」と「3g」を間違えれば患者に、管制官が飛行機の便名の間違えれば乗客に、銀行のATM障害は顧客に重大な不利益が発生し、何らかの責任を取らねばならないが、マスメディアは誤った報道をしても、誤字脱字があっても「お詫びして訂正します」で済んでしまうので無責任が闊歩する。




他人事ではないみずほのシステム障害
2002年4月28日