2002年10月14日
不況の時は質素な生活をすれば良いのでは?
 株価の下落が続いているが、テレビで「日本経済は大変だ」という人達は皆いい背広を着ていいネクタイを締めている。

 日本が不況といっても難民が溢れて餓死者が続出している訳ではない。参考までに、さいたま市の夫婦と子2人の生活保護世帯の年間最高給付額は約341.6万円である。この手厚い福祉を施し、殆どの家庭にテレビとエアコンのある国の経済状態が悪いというのは、例えは悪いが、アフガニスタンの人達に申し訳ないのではないだろうか? 
 
 国際的に見れば、日本は先進国で最低の消費税と国民負担率で、しかも国防も他国に依存して平和と繁栄を享受し、国民は1400兆円も貯金をしている一方で、政治家・役人のみならず、国民も私利私欲に奔走した結果、700兆円もの財政赤字を造って国際経済を混乱に陥れている「自分勝手な国」かもしれない。

 そもそも税収が50兆円しか無いのに、30兆円を借金に依存している財務状態は一般家計では考えられない。行政に無駄が多いのは事実だが、国の歳出約80兆円のうち、悪名高い公共事業は9.4兆円で、実は「赤字国債の利払い」に毎年10兆円強が充てられている事こそが最大の税金の無駄なのである。日本人は負担分以上の行政サービスを受けているのであり、不況の時は質素な生活をすれば良いのではないだろうか?

 小生が物心付いた35年程前には白黒テレビのある家に人が集まって大相撲と力道山のプロレスを見て、夏はウチワと扇風機で涼を取り、夜は蚊帳の中で寝ていたが、貧しいと感じた事はなかった。また、その当時は「人を殺してみたかった」などという少年犯罪も、自分の家族に対する保険金殺人も、児童虐待も、校内暴力もなかった。

 「易経」に「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」という言葉がある。事態がいよいよ行き詰ると、そこで必ず情勢の変化が起こり、そこからまた新しい展開が始まるという意味だが、人は窮しなければ、変える必要性を感じないものだ。

 小泉首相はなかなかの政治家で3度の食事が出来て、蛇口をひねれば水が出て、電車が時間通り来る間は、国民が現在の官主導の社会主義を民主導の自由主義に構造改革する必要性を感じない事を見通していると思う。

 景気回復が先か構造改革が先かという議論があるが、景気が回復すれば構造改革の必要性は誰も感じないだろう。政治家の立場では口が裂けても言えないが、小泉総理は「日本は一度、完全にポシャらないと駄目だ」と思っているのではないだろうか?