2002年10月2日
拉致被害者を見殺しにしたのは日本人自身かもしれない
 全てをトップが決定する金正日政権の下では金総書記自身が拉致事件に関与していない事はあり得ない。日本人を拉致し、2度と祖国の土を踏むことなく死に至らしめた金正日総書記は、坂本弁護士一家を拉致殺害したオウムの麻原彰晃氏と同様、犯罪者である。

 金総書記の邦人拉致もビン・ラディンの同時多発テロも無垢の人々を無差別にターゲットにした犯罪であり、麻原の地下鉄サリン事件と本質的な差はない。犯罪者を野放しにして於いて良いのだろうか?罪を償わせる必要は無いのだろうか?金正日氏に罪の償いをしてもらうにはまず政権の座から降りて頂く事である。

 米国の元韓国駐在大使ジェームス・リリー氏は「北朝鮮と1年でも交渉すれば北朝鮮首脳が公約した事を明日にでも破る可能性がある事を知る」、「日本の北朝鮮への経済援助は、弱体になった金正日政権を立て直し、ことに軍事力の増強に役立ってしまう懸念がある」と警告している。

 国交正常化のためには、北朝鮮の民主化(選挙の実施・言論の自由)が不可欠であり、金正日の独裁政権が続く限り援助は軍備にまわり、一般国民には還元されないだろう。

 ヤクザ・チンピラに大人しくして頂くために上納金を献上する様な外交には断固反対したいのだが、日本の外交を考えると、他国とどう付き合うかという以前にどうしても以下の3つの問題に突き当たる。
1)国防を他国に依存している国に真の外交が出来るだろうか?
2)国防を他国に依存している国が独立国家と言えるのだろうか?
3)国防を他国に依存している限り日本の外交は変わらないのでは?


 イギリスの哲学者、ジョン・スチュワート・ミルの言葉に
「何のためにも戦う事をしないという人間、つまり自分自身の安全以上に大切なものは何も無いと考える人間は、みじめな生き物である」というのがある。

 8人の同胞が金正日政権に拉致され亡くなった事実は「自分の国を自分で守っていない国は国民の生命と財産を守れない」という事の証左に他ならないが、拉致された同胞を20年以上も放置し見殺しにしたのは政治家や官僚のみならず、何のためにも戦う事をせず、自らの保身を最優先させて来た戦後の日本人自身ではないだろうか?

 戦後の日本では「武力や厳罰化では何も解決しない。報復は報復を呼ぶ。」という論調が進歩的とされて来た。しかしそれは自分自身の安全以上に大切なものは何も無いと考える事の隠れ蓑に他ならず、何のためにも戦う事せず自らの保身を最優先させて来た結果が、拉致被害者の見殺しであり、オウムの地下鉄サリン事件であり、小学校での無差別児童殺傷事件であり、日本を「法治国家」から「放置国家」にしてしまったのである。

 戦後の日本人が失ったものは「誇り」であり、残ったものは「保身」である。


追記:死亡発表の信憑性

 拉致され亡くなった方々は30歳から40歳台で亡くなっており、死亡日が同じ人もいる。誤解を恐れず言えば、死亡で発表された8人は、対日工作員の養成に関わった有能な人達であり、生存の4人は対日工作員の養成に関与させて貰えなかった人達と考えるのが妥当だろう。

 対日工作員の養成に関わった人達が日本に帰国すると、日本に潜入している工作員の「面」が割れるので、帰国させないための戦略は死亡発表しかない。いずれにしても、今回の日朝首脳会談で金総書記は全世界に「8人死亡」と発表してしまった。もし8人が生存しているなら「金正日は大嘘つき」という事になるので、彼は8人を本当に処分してしまったかもしれない。