2002年2月11日
「小善は大悪に通じ、大善は非情に似たり」

 子供のわがままを安易に受け入れる(小善)と将来的にはその子のためにならず(大悪)、わがままを認めない事(非情)は、最終的に子供のためになる(大善)。

 働かない人の雇用を継続する事は(小善)、大局的には会社の利益を損ね(大悪)、働かない人の降格・左遷・解雇(非情)は、最終的には会社の益となる(大善)。

 昇格や栄転を告げるのは簡単だが、降格や左遷を告げるのは辛いものである。

 田中外相の更迭の是非は別にして、伴に総裁選を戦った田中外相を政権の支持率低下も覚悟で更迭した小泉首相の決断力はリーダーの資質として高く評価できる。「非情な決断」は組織のトップにしか出来ない事で、右肩上がりの時は調整型のリーダーでもやって行けるが、右肩下がりの時は「泣いて馬謖を斬るリーダー」が必要である。

 直ぐに大衆迎合する日本の今の政治家に欠けているものはこの決断する「非情さ」ではないだろうか?

 明治政府は近代化をしないと欧米列強の植民地となる危機感から廃藩置県と四民平等を決断し、士族の大リストラを断行した。最近の日本の首相で「非情な決断」を成し得たのは中曽根総理の「国鉄の民営化」と竹下総理の「消費税導入」ぐらいでその後はない。竹下内閣の支持率も消費税導入後、一桁に低下し、解散に追い込まれたが、少子高齢社会となった今、「消費税の導入は大英断であった」と評価できる。そして、竹下内閣の後は「日本の失われた10年」と言われている。

 「善人には断は下せない」と戦国武将の毛利元就は言った。

 中途半端な景気回復策で倒産すべき企業を存続させる(小善)と、更に問題を先送りする事になる(大悪)。守旧派型社会主義をやめ、構造改革を進める事(非情)は、最終的には「頑張った者が報われる社会」に繋がると期待したい(大善)。